先週からとても忙しくなった。
授業、試験問題作り、学会のお手伝い、作成した十分杯リーフレットの配布、通夜、打ち合わせとその準備、学内論叢への投稿、シュクラ乗車の日程調整。。。
手に超えることをするとパンクする。
約束を忘れていたり(2件)、事務方に迷惑をかけたり(1件)の1週間だった。
誰のせいでもなくこちらのせいである。
ふろしきを広げたのは他でもない私だからである。
しかし、いいことがより多かった。
ゼミ生の活動がまた新潟日報に記事となった。嬉しかった。
それ以外に、日本酒で長岡の活性化を考えていらっしゃる小熊市議員やその他の熱い方々に会えた。
見分が広がった。
私たちは十分杯だけでやってきたわけだが、我々が行う活動の位置づけができた。具体的には後日述べたい。
実は同じ日に小熊先生には2度お会いした。朝はリーフレットの件で、午後はお家での勉強会で。
土曜の朝だったが、食事がほとんど終わったところに電話が鳴った。
出てみたら小熊先生だった。
この方は前の市議会の議長を歴任されて、日本酒乾杯条例を作られた方でもある。
要するに、長岡では大物である。
とりあえずお詫びして、アオーレに向かった。小熊市議、学生1人が待っていた。
約束時間から20分遅れていたから、おそらく30分ほど待っていらっしゃったかもしれない。
何一つ怒られなかった。怒られる覚悟はできていたのに。
それどころか、午後ご自宅で勉強会をやるから来てもらえないかと誘いの言葉をいただいた。
勉強会は大いに勉強になった。
リーフレットも増刷をしなければならないことが分かった。
来週は小熊先生と栃尾に行くこととなった。
長岡市内に16の坂蔵があるが、そちらの組合の会長さんを紹介してくださるためだ。
私なんか投票権もないのに。。。感謝感謝。
また、お家の雰囲気にとても驚いた。
歴史ある、伝統的な日本の家という感じである。
半分は修学旅行をしたような感じだ。
また、火曜日は前の土曜日の勉強会で感じたことや今年の活動がいまいちということもあり、意見交換会を開いた。
テーマは悠久山を観光資源化できないかだった。
相互タクシーの小川社長、長岡コンベンション協会の西潟次長、本村係長、長岡市の戸田係長、本学コーディネーターの脇田さん、そして、ゼミ生。
終わってみたら3時間もやった。
学生相手に一生懸命話をしてくださり、聞いてくださり、その真摯さに感動した。
小川社長はほんの十分前の交渉だったにもかかわらず飛んできてくださった。
こちらはお茶しか出せなかったのに。。。
恩返しのためにも一生懸命活動しなければと思った。
活動と関連して、大きな収穫は長岡市が観光面で力を入れているのが日本酒だということである。
ますます、長岡市内での我々の活動の位置づけが明確になってきた。
今後の方向性もほぼ決まった。
十分杯や日本酒にとどまるのではなく、酒の文化を売っていくことだ!
今もとんでもなく忙しけど、大きな収穫があった2週間だった。
万歳、万歳、万歳!
2015年7月24日金曜日
2015年7月21日火曜日
相互タクシーの社長からいいこと教えていただいた。
長岡のタクシー会社の中に相互タクシーという会社がある。
今日のゼミは十分杯だけではなく、より広げて悠久山を観光資源として活用するにはどうしたらいいかという問題意識の下で長岡観光コンベンション協会、長岡市役所観光企画課、相互タクシーの社長さんに来ていただいた。
相互タクシーには先週電話を差し上げたがいらっしゃらなかったので、もう一度お電話を差し上げた。
午前中はタイミング悪くお留守ということで、こちらの番号をお伝えしておいた。
午後社長さんからお電話が入った。
ゼミに来ていただいて私どもの考え方について、ご意見を伺いたいと申し上げた。
社長さんはこれから飛んでいくとおっしゃって電話を切られた。
研究室で資料を作成していて印刷が思うようにならなくて、ばたばたしていた。
猫の手も借りたいほどだったが、学生たちとはこういう時に限って連絡が取れない!
1階に行って三方先に案内した。
そして、PCとプロジェクターをいじる間に社長さんが来られた。
本当に飛んで来てくださった。
会の内容については後日載せたいが、ここでは社長さんの一言だけを紹介したい。
「良い付き合いをするためには、自分を高めなければならない。」
「また、本も読まなければならない。」
感謝、感謝です。
ー樂九ー
今日のゼミは十分杯だけではなく、より広げて悠久山を観光資源として活用するにはどうしたらいいかという問題意識の下で長岡観光コンベンション協会、長岡市役所観光企画課、相互タクシーの社長さんに来ていただいた。
相互タクシーには先週電話を差し上げたがいらっしゃらなかったので、もう一度お電話を差し上げた。
午前中はタイミング悪くお留守ということで、こちらの番号をお伝えしておいた。
午後社長さんからお電話が入った。
ゼミに来ていただいて私どもの考え方について、ご意見を伺いたいと申し上げた。
社長さんはこれから飛んでいくとおっしゃって電話を切られた。
研究室で資料を作成していて印刷が思うようにならなくて、ばたばたしていた。
猫の手も借りたいほどだったが、学生たちとはこういう時に限って連絡が取れない!
1階に行って三方先に案内した。
そして、PCとプロジェクターをいじる間に社長さんが来られた。
本当に飛んで来てくださった。
会の内容については後日載せたいが、ここでは社長さんの一言だけを紹介したい。
「良い付き合いをするためには、自分を高めなければならない。」
「また、本も読まなければならない。」
感謝、感謝です。
ー樂九ー
2015年7月17日金曜日
酒には勝てない!
酒はほどほどがいいんだよということをわからない人っていない。
飲む前までは大体はそうである。
しかし、飲み始めて酒気が回り始めたらそういうわけにはいかない。
自分の体を支配するのはもはや自分ではないからである。
酒くらいには勝てるというのは単なる願望でしかない。
以前、新潟市で用があって帰りに一杯だけのつもりと、付き合いという名目で顔を出した酒席が大体は最終新幹線の出発時刻ギリギリまで頑張っていた。
反省も燕三条駅までである。
なぜなら、起きてみると越後湯沢だからである。寝る間は反省も後悔もない!
それで、数回湯沢のホテルにお世話になったことがある。
一度は東京のどこかの警察署にお世話になったこともある。
それでもしばらくは飲んでいた。勝てるつもりで。
私はどうも自身について過大評価をするとんでもない癖がある。
おそらくその理由は悪い記憶を長持ちしないからだと自己分析する。
言い換えると、都合のいい記憶だけが頭に残るからである。
あれだけいろんな失敗を知ってきたのに。。。
だから過去の失敗を思い起こしてくれる傷跡は完治しない方がいい。
それを見て襟を正すからである。
その意味において十分杯は大事である。
私には傷跡の役割をしてくれている。
実はここ何年間湯沢に泊まったこともなければ、それ以外の失敗も全くなし。
自慢したい。(^◇^)
1週間くらいは飲まなくても平気!でも、金曜の夜は辛い。
十分杯の影響?
それは大だと思われるが、もう一つの理由がある。
歳のせいか、酒の受けが悪くなっているからである。
しかし、ワインはなかなか受けがいい。日本酒も吟醸以上は受けがいい。
二日酔いもない。しかし、720mlをその日に空けたりはしない。
せいぜい半分まで。それでも贅沢を感じる。だから、ゆっくり味わいたい。冷にして。
最近特に視力がおかしい。
メガネの問題でもなく、金に目が眩んでいるからでもない。
歳のせいと、酒のせい以外は思い当たらない。
ワインももっと減らしていきたい。
ベロが欲しがっていることをすべて聞いてあげてはならん!
十分杯を思い浮かびながら、たまに楽しもう。楽しく!
ー樂九ー
十分杯を思い浮かべても思うようにならない方のために越後湯沢駅内の風景を2枚紹介したい。
こうならないように。。。
飲む前までは大体はそうである。
しかし、飲み始めて酒気が回り始めたらそういうわけにはいかない。
自分の体を支配するのはもはや自分ではないからである。
酒くらいには勝てるというのは単なる願望でしかない。
以前、新潟市で用があって帰りに一杯だけのつもりと、付き合いという名目で顔を出した酒席が大体は最終新幹線の出発時刻ギリギリまで頑張っていた。
反省も燕三条駅までである。
なぜなら、起きてみると越後湯沢だからである。寝る間は反省も後悔もない!
それで、数回湯沢のホテルにお世話になったことがある。
一度は東京のどこかの警察署にお世話になったこともある。
それでもしばらくは飲んでいた。勝てるつもりで。
私はどうも自身について過大評価をするとんでもない癖がある。
おそらくその理由は悪い記憶を長持ちしないからだと自己分析する。
言い換えると、都合のいい記憶だけが頭に残るからである。
あれだけいろんな失敗を知ってきたのに。。。
だから過去の失敗を思い起こしてくれる傷跡は完治しない方がいい。
それを見て襟を正すからである。
その意味において十分杯は大事である。
私には傷跡の役割をしてくれている。
実はここ何年間湯沢に泊まったこともなければ、それ以外の失敗も全くなし。
自慢したい。(^◇^)
1週間くらいは飲まなくても平気!でも、金曜の夜は辛い。
十分杯の影響?
それは大だと思われるが、もう一つの理由がある。
歳のせいか、酒の受けが悪くなっているからである。
しかし、ワインはなかなか受けがいい。日本酒も吟醸以上は受けがいい。
二日酔いもない。しかし、720mlをその日に空けたりはしない。
せいぜい半分まで。それでも贅沢を感じる。だから、ゆっくり味わいたい。冷にして。
最近特に視力がおかしい。
メガネの問題でもなく、金に目が眩んでいるからでもない。
歳のせいと、酒のせい以外は思い当たらない。
ワインももっと減らしていきたい。
ベロが欲しがっていることをすべて聞いてあげてはならん!
十分杯を思い浮かびながら、たまに楽しもう。楽しく!
ー樂九ー
十分杯を思い浮かべても思うようにならない方のために越後湯沢駅内の風景を2枚紹介したい。
こうならないように。。。
ロレックスと十分杯
楽九は韓国生まれ、韓国育ちである。
大学時代までを韓国で過ごした。
生まれたところは、皆さんはなかなか想像できないど田舎。慶尚北道安東郡の右端の村。
電気が通ったのが小1、バスが初めて来たのが小4、アスパルトができたのが約10年前。
村に中学校がなかったので、入学式から自炊。ちなみに、当時は義務教育ではなかった。
そのため、中学校になんとか入学はしたものの、やめていく友人が何人かいた。
自炊の話に戻ろう。練炭の上に鍋を乗せてご飯を炊いた。
当時、周りから最も注意されたのが二酸化炭素中毒で、最も大変だったのがご飯を炊くことだった。
要するに、火加減が難しいのである。
電気炊飯器もではじめた頃だったが、停電も頻繁にあったもので、結果的に練炭のほうが我々自炊生には評判が良かった。
中学入学前に教えてもらうのが練炭の火加減だったが、うちの村で練炭を利用する家はなかったため、実に困った。
なぜなら、うちの村はマキを燃料としていたからである。
なかなか想像できないだろうが、楽九はそういうところで育った。
高校時代は大邱という当時韓国3番目の都会で過ごした。
何一ついい思い出がない。
ひとクラス約60人✖️1学年15クラスということで、1学年で900人。
部活?とんでもない。夜9時まで学校にいなければならなかった。
高校時代というよりは収容所時代。
大学も同じところで過ごした。
両親は大変だった。
ダムが出来て田舎から出てきて、リヤカーを引きながら商売を始めた。
当時楽九は家庭教師をしていた。そこそこいい収入だった。
2年が終わってから兵隊へ行ってきた。諸般の事情でちょうど半年だけ。
3年に復学して焦ってやったのが日本語だった。楽しかった。
3年が終わって休学して東京の日本語学校で1年間勉強した。
ドカタ、ティッシュ配り、皿洗い。。。
この1年間がむしゃら勉強した。とにかく勉強した。
そして、復学して日本語で受ける試験はほとんど受けてみた。
その中に、新潟県費留学生選抜試験というのがあり、運良く受かった。
とても嬉しかった。今でも鮮明に憶えている。
勉強とは縁がないと思っていたところ、大学院の試験も受かり、また国費留学生に選抜された。
私なんかに国費留学?
図々しいのはじゅうじゅうわかっていたが、四方八方が塞がっていたので勉強した。
新大時代はいい先生といい仲間に巡り合った。
しかし、今の時点で振り返ってみると、問題の本質に近づく研究はできなかった。
理由は幾つか考えられるが、難しい問題やグラフを理解するのが大事だと思っていたからだと思う。
さらに、その原因は読書量の少なさとオリジナリティーの大事さを十分わかっていなかったからだと今は思う。
そして、縁あって長岡大学で教鞭をとることとなった。もう15年目である。
おかげさまでなんとか生活ができるようになった。
そして、研究活動もそこそこやった。
ある機関から委託調査を受けて、それなりの収入が入った。
それで、ロレックスを買った。子供の時からロレックスの名は知っていた。
成功のシムボルだという話を数回耳にしたことがあった。
どこかに自分を成功した人間のグループに無理やり高級時計という入場券で入れたかったかもしれない。
今考えると笑ってしまうけど、前半で長々と書いたように、私のような成長期を過ごした人にはあるかもしれない。
そして、もう一つの別の理由もある。
楽九は中小企業や製造業の技術について研究している。以前から不思議だった。
テレビを見るとものづくりにおける日本の技術は世界一だと自慢しているけど、時計やブランド物はほとんどが欧米の物ではないかと思っていた。
なぜ、日本は作れないだろうか。
なぜ、日本人や世界中の人たちはブランド物の中で特に欧米の物を好む理由は何かが疑問になっていた。
それなら自分で使ってみようと思った。
お金もあったし。自分なりの答えは見つかった。
技術、デザインのオリジナリティー、実用性(蛍光と日付)。4年間大事に使った。
それを先月に手放した。
私は先述した問題意識があってロレックスをつけているが、十分杯の広報活動をする上で、何人かの人たちはロレックスをみて矛盾を感じたかもしれない。
誰よりも後ろめたかったのは実は私自身だった。
今は腕時計がない。目がかなり悪いため、腕時計がないと困る場面が多い。
我慢の領域を超えたら、一つ考えたい。
とにかく、ロレックスを手放してから、なぜかわからないけど心がすっきりした。
晴れ晴れとしてきたというのが近い表現かもしれない。
どうでもいい物を持つこと、所有することから解放れた。
今は完全に自由の身となった。
ロレックスは本当にいい時計だが、それ以上に負担を感じない所有や自由の方がいい。
十分杯が私にくれたのは自由である。十分杯様、万歳!
ー樂九ー
大学時代までを韓国で過ごした。
生まれたところは、皆さんはなかなか想像できないど田舎。慶尚北道安東郡の右端の村。
電気が通ったのが小1、バスが初めて来たのが小4、アスパルトができたのが約10年前。
村に中学校がなかったので、入学式から自炊。ちなみに、当時は義務教育ではなかった。
そのため、中学校になんとか入学はしたものの、やめていく友人が何人かいた。
自炊の話に戻ろう。練炭の上に鍋を乗せてご飯を炊いた。
当時、周りから最も注意されたのが二酸化炭素中毒で、最も大変だったのがご飯を炊くことだった。
要するに、火加減が難しいのである。
電気炊飯器もではじめた頃だったが、停電も頻繁にあったもので、結果的に練炭のほうが我々自炊生には評判が良かった。
中学入学前に教えてもらうのが練炭の火加減だったが、うちの村で練炭を利用する家はなかったため、実に困った。
なぜなら、うちの村はマキを燃料としていたからである。
なかなか想像できないだろうが、楽九はそういうところで育った。
高校時代は大邱という当時韓国3番目の都会で過ごした。
何一ついい思い出がない。
ひとクラス約60人✖️1学年15クラスということで、1学年で900人。
部活?とんでもない。夜9時まで学校にいなければならなかった。
高校時代というよりは収容所時代。
大学も同じところで過ごした。
両親は大変だった。
ダムが出来て田舎から出てきて、リヤカーを引きながら商売を始めた。
当時楽九は家庭教師をしていた。そこそこいい収入だった。
2年が終わってから兵隊へ行ってきた。諸般の事情でちょうど半年だけ。
3年に復学して焦ってやったのが日本語だった。楽しかった。
3年が終わって休学して東京の日本語学校で1年間勉強した。
ドカタ、ティッシュ配り、皿洗い。。。
この1年間がむしゃら勉強した。とにかく勉強した。
そして、復学して日本語で受ける試験はほとんど受けてみた。
その中に、新潟県費留学生選抜試験というのがあり、運良く受かった。
とても嬉しかった。今でも鮮明に憶えている。
勉強とは縁がないと思っていたところ、大学院の試験も受かり、また国費留学生に選抜された。
私なんかに国費留学?
図々しいのはじゅうじゅうわかっていたが、四方八方が塞がっていたので勉強した。
新大時代はいい先生といい仲間に巡り合った。
しかし、今の時点で振り返ってみると、問題の本質に近づく研究はできなかった。
理由は幾つか考えられるが、難しい問題やグラフを理解するのが大事だと思っていたからだと思う。
さらに、その原因は読書量の少なさとオリジナリティーの大事さを十分わかっていなかったからだと今は思う。
そして、縁あって長岡大学で教鞭をとることとなった。もう15年目である。
おかげさまでなんとか生活ができるようになった。
そして、研究活動もそこそこやった。
ある機関から委託調査を受けて、それなりの収入が入った。
それで、ロレックスを買った。子供の時からロレックスの名は知っていた。
成功のシムボルだという話を数回耳にしたことがあった。
どこかに自分を成功した人間のグループに無理やり高級時計という入場券で入れたかったかもしれない。
今考えると笑ってしまうけど、前半で長々と書いたように、私のような成長期を過ごした人にはあるかもしれない。
そして、もう一つの別の理由もある。
楽九は中小企業や製造業の技術について研究している。以前から不思議だった。
テレビを見るとものづくりにおける日本の技術は世界一だと自慢しているけど、時計やブランド物はほとんどが欧米の物ではないかと思っていた。
なぜ、日本は作れないだろうか。
なぜ、日本人や世界中の人たちはブランド物の中で特に欧米の物を好む理由は何かが疑問になっていた。
それなら自分で使ってみようと思った。
お金もあったし。自分なりの答えは見つかった。
技術、デザインのオリジナリティー、実用性(蛍光と日付)。4年間大事に使った。
それを先月に手放した。
私は先述した問題意識があってロレックスをつけているが、十分杯の広報活動をする上で、何人かの人たちはロレックスをみて矛盾を感じたかもしれない。
誰よりも後ろめたかったのは実は私自身だった。
今は腕時計がない。目がかなり悪いため、腕時計がないと困る場面が多い。
我慢の領域を超えたら、一つ考えたい。
とにかく、ロレックスを手放してから、なぜかわからないけど心がすっきりした。
晴れ晴れとしてきたというのが近い表現かもしれない。
どうでもいい物を持つこと、所有することから解放れた。
今は完全に自由の身となった。
ロレックスは本当にいい時計だが、それ以上に負担を感じない所有や自由の方がいい。
十分杯が私にくれたのは自由である。十分杯様、万歳!
ー樂九ー
2015年7月16日木曜日
岡崎宗男陶芸工房見学
一昨日は長岡在住の陶芸家の岡崎さんの窯に行ってきた。
この方は十分杯を制作しておられる方である。
先月、大学に来ていただいた際、実際作っていらっしゃるところを拝見したいとお願いしたところ、10日以降なら少し余裕があるというお話だった。タクシーも手配していただいたし、問題はなかった。
しかし、しかし、おやおや移動の途中で、前回お会いしてから岡崎さんの声を聞いた覚えがない気がした。そこで、タクシーの中で急いで電話したが、いらっしゃらなかった。しばらくしてからもう一度電話を入れた。出てくださった。伺ったらやはりアポなしだった。
この間、締め切りが何本かあったため、神経が別のところに。。。
申し訳ない!
なかなか手が空かないご様子だったが、こちらの事情を理解していただき、受け入れていただいた。
本当に助かった!
見学スタート!
タクシーから降りた時に目に入った風景。
花瓶、石畳、緑、手作り感たっぷりの看板!
絵になる!
入り口の景色はなかなかのセンスだと思った。
芸術家の庭って落ち着く!
コンクリートの中で過ごす我々とは感性が違うだろうね。また、それがないと芸術なんかできないに違いない。
作業場に入ってから話を伺っていたところに、郵便配達人がオカザキムネオさんと呼んだ。
我々は笑った。岡崎さんは宗男と書いてタカオと読むんだということを我々は知っていたからだ。
ご説明が始まった。十分杯の制作過程、とりわけ飾りのところの作り方を何一つ隠さずに見せていただいた。
まるでマジックのネタ明かしのような内容だった。
最初から完成までどれだけ長い時間がかかったかを聴いたところ、
色んな仕事をやる間の隙間時間にやったので1年半という返事。
何事もそうだろうけど、世の中で初めてというのはやはり時間がかかる。
作り方はとても奇抜だし、そう簡単にできるものでもない。
見せていただいただけではなく、丁寧に作り方を教えていただいたけど我々には100%無理である。陶芸家じゃないと無理な領域である。
「さすが!、さすが!、さすが!」
岡崎さんは作り方を公開してもいいとおっしゃったけど、1年半も苦悩されたことを簡単にネットで公開するわけにはいかない。
ということで、ここでは公開しないことにしたい。
以下では、その代わりに、3枚の写真を紹介したい。
まず、
初期の作品
岡崎タカオ様、感謝感謝です。
最後に、岡崎さんのプロフィールと商品の取扱店を紹介します。
主に、生活陶器を中心に作っていらっしゃるようです。
また、岡崎さんの十分杯は長岡駅ビル1Fのわがんせさんで購入できるそうです。
岡崎さんのネームバリューが上がる前の今の内に丹精込めて作られた一品を手に入れることをお勧めします。
ー楽九ー
この方は十分杯を制作しておられる方である。
先月、大学に来ていただいた際、実際作っていらっしゃるところを拝見したいとお願いしたところ、10日以降なら少し余裕があるというお話だった。タクシーも手配していただいたし、問題はなかった。
しかし、しかし、おやおや移動の途中で、前回お会いしてから岡崎さんの声を聞いた覚えがない気がした。そこで、タクシーの中で急いで電話したが、いらっしゃらなかった。しばらくしてからもう一度電話を入れた。出てくださった。伺ったらやはりアポなしだった。
この間、締め切りが何本かあったため、神経が別のところに。。。
申し訳ない!
なかなか手が空かないご様子だったが、こちらの事情を理解していただき、受け入れていただいた。
本当に助かった!
見学スタート!
タクシーから降りた時に目に入った風景。
花瓶、石畳、緑、手作り感たっぷりの看板!
絵になる!
入り口の景色はなかなかのセンスだと思った。
芸術家の庭って落ち着く!
作業場に入ってから話を伺っていたところに、郵便配達人がオカザキムネオさんと呼んだ。
我々は笑った。岡崎さんは宗男と書いてタカオと読むんだということを我々は知っていたからだ。
ご説明が始まった。十分杯の制作過程、とりわけ飾りのところの作り方を何一つ隠さずに見せていただいた。
まるでマジックのネタ明かしのような内容だった。
最初から完成までどれだけ長い時間がかかったかを聴いたところ、
色んな仕事をやる間の隙間時間にやったので1年半という返事。
何事もそうだろうけど、世の中で初めてというのはやはり時間がかかる。
作り方はとても奇抜だし、そう簡単にできるものでもない。
見せていただいただけではなく、丁寧に作り方を教えていただいたけど我々には100%無理である。陶芸家じゃないと無理な領域である。
「さすが!、さすが!、さすが!」
岡崎さんは作り方を公開してもいいとおっしゃったけど、1年半も苦悩されたことを簡単にネットで公開するわけにはいかない。
ということで、ここでは公開しないことにしたい。
以下では、その代わりに、3枚の写真を紹介したい。
まず、
十分杯の製作に取り掛かってからこれまで約50−60点を世に出しているが、そのうちの最初の作品
十分杯の構造がよくわかる作品。岡崎さんのオリジナル作品。
初期の作品
岡崎タカオ様、感謝感謝です。
最後に、岡崎さんのプロフィールと商品の取扱店を紹介します。
主に、生活陶器を中心に作っていらっしゃるようです。
また、岡崎さんの十分杯は長岡駅ビル1Fのわがんせさんで購入できるそうです。
岡崎さんのネームバリューが上がる前の今の内に丹精込めて作られた一品を手に入れることをお勧めします。
ー楽九ー
2015年7月14日火曜日
炎天下ウォーキング
昨日午後、完成したリーフレットを配りに、後輩1名と市街地を歩き回りました。
大学出発は、13時半頃。
配り歩き始めたのは14時前後。
もうお分かりかと思いますが、
一番暑い時間を選んでしまいました。
日程上仕方なかったことなのですが...
さておき、
昨日の長岡市は気温35℃以上の猛暑日となりました。
日中の市街地を歩けば、下はアスファルトの熱、風が吹けば熱風といった状況でした。
(「両面グリルもさもありなん。」といった感じです。)
ともあれ、リーフレット自体は配り終えましたので、
本日以降、より多くの場所で皆様にご覧いただけるようになるでしょう。
街中で、
この表紙を見かけましたら、
ぜひ手に取ってご覧ください。
////////////////// 以下、感想 //////////////////
暑い中でしたが、訪問先の皆様が快く受け取ってくださったこともあり、
スムーズに終わらせることが出来ました。
今後とも、地域の皆様とのつながりを大切にして取り組んでいきたいと再認識しました。
( n.t )
今回の活動で十分杯の活動はとても多くの人たちに支えられているからできているんだと実感しました。
今後とも十分杯のことを多くの人に知ってもらえるよう努力したいです。
( o.h )
文責 -n.t-
感想の一部 -o.h-
2015年7月8日水曜日
シュクラを想定しての修行
昨日、シュクラに乗ることを想定して十分杯を説明するための仮テストをゼミの時間に行いました。
十分杯の説明をうまく伝えられずに、自分の勉強不足を感じました。
これからの活動に力をつけるためにも、さらに精進していこうと思います。
帰り道、先輩と同じゼミの仲間とともに帰りました。先輩は就活やバイトをしつつ、十分杯の活動を
やっていると聞いたので先輩の真剣さが感じ取れました。
7月31に私もシュクラに乗るので先輩についていき、学びたいと思います。
仮テストの様子
-y.s-
2015年7月2日木曜日
十分杯会議 (空白期間シリーズ ① )
更新停止状態からよみがえった当ブログですが、
「昨年10月~今年度はじめまで」の状況についてまったく紹介が出来ておりません。
そこで、この「空白期間」のできごとについて、数回に分けて紹介していきたいと思います。
今回は、その第1回目です。
① 「十分杯会議」の開催
昨年の10月25日に 「第1回 十分杯会議」 を開催しました。
会議では長岡市内の十分杯関係者の方々6名にお集まりいただき、
それぞれの視点からのご意見をいただきました。
↑ ゼミ生の発表 |
↑ 資料を見ながら討論中 |
↑ 聴衆の方からも意見をいただきました |
主な意見として、
・十分杯を長岡市の文化財に登録すべきだ
・「十分杯大百科」あるいは「マンガ」をつくったらどうか
・わかりやすいキャッチコピーが必要
・他地域と連携したPRの推進 (例) 三河地方 : 牧野家ゆかりの地
・「MOTTAINAI(もったいない)」のように「HODOHODO(ほどほど)」を国際語にできないか
といったものがありました。
また、会議の最後には聴衆の皆様からもご意見をいただきました。
主な意見として、
・外国人へのPR、海外姉妹都市と連携したPRの推進
・酒販会社との協力
・小学校や文化祭などでの紹介
といったものがありました。
〈感想〉
十分杯会議では、ものごとを立ち上げることの難しさを実感しました。
この会議は今までなかった物ですから、すべてを一から作っていく必要がありました。
準備段階での苦労もありましたし、当日の会議でも緊張や不安は絶えませんでした。
しかし、いざ会議が始まってみると参加者の皆様、聴衆の皆様のご協力もあり、
和やかに、かつ真剣に議論を交わすことが出来ました。
結果として、 十分杯会議の立ち上げは成功であった と確信しています。
今後この活動がどういう方向に進み、また、長岡にとってどのような影響を生むものかは、
私たちにもまだ分かりません。
しかし、十分杯に関して今までになかった「意見交換の場」を設けることができたのは、
とても意義のあることだったと考えています。
十分杯会議について 終
////////////////////////////////////////////////////////
十分杯会議、そして翌日の悠久祭での十分杯展示をもって、
私たちの昨年度の活動は一つの区切りを迎えました。
しかし、一息つく間もなく、成果発表会そして報告書といった、
一年間の総決算に向けての作業へと突入していきます。
それについては、次回に紹介する予定です。 ~ 第2回へ続く ~
文責 n.t
2015年7月1日水曜日
製作者の方と意見交換‼
今日の午後、実際に十分杯を製作されている岡崎宗男(たかお)さんにお越しいただき、お互いに意見交換を行いました~(^^)
私たちは消費者の視点から、岡崎さんは生産者の視点から
主に十分杯の価格と生産量について話し合いました(´ー`)
今まで分からなかった生産者側の意見を知ることができました (需要と供給って難しい...)
今回はあまりお話できる時間がなかったので7月中旬あたりに今度はこちらが
岡崎さんのところへ行ってきたいとおもいま~す(/・ω・)/
岡崎さんは十分杯のほか陶器製の食器等も製作されています(^^♪
よろしければお求めになってみてはいかがでしょうか?
十分杯お求めの方↓
http://n-waganse.com/
URL http://plaza.rakuten.co.jp/okazakigama/
ーt.kー
登録:
投稿 (Atom)