2014年7月22日火曜日

十分杯(じゅうぶんはい)とは


酒杯であるが、杯の中に突起がある点が普通の酒杯と異なる。飲み方は普通の酒杯と同じである。ただし、注ぐ際に一つの注意が必要である。一定の量(八分目)を超えてはならないのである。それを超えて注いでしまうと、中に入っていた全てのお酒が下に漏れてしまい、杯は空っぽになってしまう。
そこには面白い仕組みが仕込まれている。面白い仕組みとは、杯の八分目までお酒が入っているときは他の酒杯と同じであるが、それ以上にお酒を注ぐと、中に入っていた全てのお酒が下に漏れてしまう。この杯でお酒を楽しみたいならば、せいぜい八分目までを楽しむ心の余裕が必要である。
なぜ、八分杯ではなく、十分杯なのか、を考えてみた。実際、山形県では八分杯と呼んでいるらしい。どちらも仕掛けは同じであり、そのメッセージも同じである。八分杯という名は八分目までで抑えることを強調しており、十分杯という名は十分すなわち、過欲を強く警戒している。“十分”とは“過欲”なのである。
日本には資本主義という非常にきれいな花が立派に咲いたが、欲という棘もたくさんできてしまった。今の時代にこの欲を全部否定することはできないし、また、してはならないだろう。しかし、不要不急のものに対する欲は、単なる欲ではなく、過ぎた欲、つまり過欲になる。欲しい物を持ってはいけないということではない。必要な範囲内で持つようにしようということである。人は心に欲が出来てはじめて動き出す。そして、欲はどんどん大きくなっていく。そして、やがては欲が人を食ってしまう場合もある。欲に食われずに、純粋さと節度を保ち、過欲に走らずに蓄えを持った人として生きていくために十分杯を心に持ち歩くのはどうだろうか。
十分盃と十分杯どちらが正しい?
どちらも正しいが、盃は杯の俗字である。

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